日本人の9割が知らない遺伝の真実/安藤寿康/SB新書
この本は慶應義塾大学の教授である安藤先生が書かれた、非常にわかりやすい入門書です。
あのベストセラーである『言ってはいけない』に便乗した本だと筆者も認めていらっしゃいますが、やはり大学教授で行動遺伝学の専門家ということもあり、橘玲氏とはまた違った角度から遺伝について論じています。
この本は非常に示唆的で、これからの社会を考える上で必須の本です。
我々の多くは、近代的な価値観を自明のものだと思っています。
例えば、「確かに人間は生まれによる不平等はあるけれども、たえまない努力によってそんな不平等を克服することができる。人間は自由で平等なんだ」と、近代の延長線上にある現代に生きる我々は無意識に考えていますが、最新の行動遺伝学の知見を参考にすると、そういった我々のよって立つ基盤がいかに脆いものか、明らかになります。
みもふたもないことを言えば 、我々は生まれた瞬間におよその人生の方向性は決まっているのです。
「努力すれば何とかなる」というのは大きな嘘です。
なぜならば、「努力できること」自体が多分に才能だからです。
この本で私が最も印象深かったのは、「機会を平等にすればむしろ格差は広がる」という指摘です。
例えば、日本は公教育が比較的優れている国ですが、公教育が充実していればしているほど残念ながら格差はどんどを開いていきます。
例えば鎌倉時代の江戸時代などであれば、農民の息子に生まれたら、才能を開花させる手段はありません。
ですから、勉強のものすごい才能がある子供も勉強の才能が全くない子供も、ある意味格差は広がりません。
しかし、機会が平等になると、皮肉なことに遺伝的な才能が顕在化する可能性が高くなるため、格差がどんどん広がっていくのです。
経済学などで「機会の平等」という言葉は比較的良い意味で使われることが多いですが、最新の行動遺伝学の知見を参考にすると、「機会の平等」がいかに残酷のものかわかるでしょう。
こういった遺伝にまつわる話を「自然科学の話」だとお考えの人もいるかもしれませんが、遺伝に関する議論は優れて社会科学的な側面を持っています。
なぜならば、人生のかなりの側面が遺伝で決まっているとすると、近代が前提とする人間観が間違っていたということになることです。
人間は自由でも平等でもなかった、という「不都合な真実」が顕在化されます。
市民革命の指導者や社会契約論者が想定している世界観が根本的に間違っていたということを最新の自然科学は明らかにしてくれます。
いわゆる「文系」の人間は、比較的屁理屈をこねてこういった自然科学のデータに対して感情的に議論をしがちですが、もうそろそろそういった場当たり的な思考はやめたほうが良いでしょう。
21世紀の社会思想を練り上げる上で、遺伝の問題は無視できません。
そういった意味で、この本は遺伝や環境といった話のみならず、サンデルあたりが議論している政治哲学にまつわる話にも今後影響を及ぼすでしょう。
人間や社会について深く考えた人にとってこれほど示唆的な本はないと思います。
ぜひ一読してください。